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トンネルとトンネルの間にひっそりとたたずむ駅、神泉。その独特な駅の立地条件から、2000年には国土交通省から「関東の駅百選」に認定されている。渋谷一帯はその名の通り谷であり、地形は隣の渋谷駅を中心としたすり鉢状になっている。神泉はそのすり鉢の西端にあたる。 駅の形状は2面2線の相対式。かつてはホームが3両分しかなく、1000系が登場する直前までは、吉祥寺寄りの2両はドア締切扱いを行っていた。 |
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◆ 駅の放送
旧放送
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● 歴史小話 ● |
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〜渋谷の賑わいの源、「神泉」〜 その名もゆかしい「神泉」は、実は弘法大師ゆかりの地である。今の様子からは想像もつかないが、実はここにかつて、こんこんと湧き出る泉があり、神泉谷と呼ばれた。そこで湧水に霊験ありと見た弘法大師の弟子の僧が、ここに浴場を作り、村人に湯治場として勧めたという。その浴場は、いつしか「弘法湯」と呼ばれ、その評判は大きく広まっていった。神泉谷が賑わいを見せる中、今の渋谷駅周辺は、まだ人家もまばらな湿地であり、現在の渋谷の街の賑わいは、ここ「神泉」が起源だとも言われている。 |
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〜戦争が残したもの〜 神泉駅は、第二次世界大戦の空襲で一度駅舎が焼き落とされ、戦後になってトンネルに挟まれた谷間の駅として生まれ変わり、現在の姿へと至っている。地形上ホームの延伸が容易ではないことから、4両、5両と井の頭線の両数が増えていく中、神泉駅だけは3両分のホームという形で取り残され、電車はこの駅を通過したり、やむを得ずホームをはみ出して停車するなど、さまざまな措置がとられていた。一部電車の通過扱いは、短い間で終わったが、ホームをはみ出しての停車は、1000系が登場する直前の平成7年まで続けられていて、長い間この駅の利用者は、不便を強いられていた。 |
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