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学生の街、久我山。井の頭線沿線には、私立を中心とした学校が多いが、特に久我山は、近くに國學院久我山高校もあることから、学生の利用客が多い駅だ。 ホームの形状は、1面2線の島式。井の頭線の中では比較的オーソドックスな形状だが、急行も停車することから、駅前は周辺の駅よりもやや発達しているという印象を受ける。以前は駅舎が北側のみにあったが、2005年1月に橋上化され、南北両側から踏切を渡らず駅に出入りできるようになった。 |
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◆ 駅の放送
旧放送
〜おまけ〜
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● 歴史小話 ● |
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〜爆撃の標的となった久我山の街〜 駅を出て南下し、玉川上水を渡ると、電話機メーカー「岩崎通信機」(通称「岩通」)の大きな建物が見えてくる。昭和18年、太平洋戦争が激烈化する中、電話探知機(レーダー)の量産に追われていた「岩通」は、この久我山の地に1200坪の工場を建てた。高性能の岩通製レーダーが普及していく中、クガヤマは米軍機の標的となり、一帯は激しい空襲を受けて、多数の犠牲者が出たこともあった。 終戦のその日、当時の岩崎社長は社員を集め、平和産業へ即時転向し、電話機製造を目指すことを表明。新たな岩通のスタートとなった。この岩崎社長は、青少年への教育にも熱心であり、昭和19年に工場の隣に久我山中学を開設した。これが現在の國學院久我山高校である。 |
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